上方はなし
友人から探している本があると聞かされたので、在庫確認の為にあちらこちらひっくり返していたら、長い事行方不明だった「上方はなし」上下を見つけました。
五代目笑福亭松鶴が中心になって戦前出した上方落語研究誌の合冊復刻版です。
やれやれと久しぶりにページをめくっていると「たちぎれ線香」の速記が載っているのに目が留まりました。
松鶴の口演です。
以前も書いたような気がしますが、私、この噺が大好きで、特に米朝師の演じ方が最も好ましく思っています。
茶屋遊びが過ぎた若旦那が、お店大事の番頭の計略に乗ってお仕置きに百日の蔵住まいをさせられます。百日が経って、恋仲の芸者の小糸から来た切迫した手紙を見せられた若旦那が、矢も楯もたまらず女のもとへ行こうとする場面、色々と信心の理由を付けて外へ出ようとする若旦那の様子を見て、番頭は薄々わかっていながら若旦那を出してやるような演出、語りぶりを米朝さんはしています。米朝さんの師匠の先代米團治もそういう語り方だったと、米朝さんは手紙でも書かれていました。
そこの所を笑福亭松鶴の速記では何と、番頭は自分から「小糸さんの所へ行っておあげやす」と勧めているではありませんか。若旦那も「ほなそうする」と誠にあっさりしたもので、拍子抜けしました。
私はやっぱり米朝師のようにした方が、若旦那と番頭の気持ちの機微が細やかになると思うのですが。
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2016年6月10日 | コメント/トラックバック(0) |