ドストエフスキーは人たらし
ドストエフスキー全集新潮社版が入ってきましたので、書簡集を拾い読みしましたが、いやー、面白い!
この人、借金の申し込みをさせたらピカ一です。父、兄、弟、編集者、友人等々、手当たり次第という感じです。
父親は早くに農奴に殺されてしまったので、父親宛ての手紙は少ないのですが、残っている手紙ことごとくが借金(送金依頼)や、留年(陸軍工科学校)のいいわけです。それが滅茶苦茶うまい。出だしが「懐かしいお父さん」「お手紙待ち焦がれています」「神様がお守りくださいますように」等など。彼らにとっては常套文句なのでしょうが、私たちには気恥ずかしい限りです。ヨーロッパ人の手紙は大体がこんな風で、いつも驚きます。
無駄遣い故の借金では無いことを「神様が証人です」と大見得を切って誓います。実はドストエフスキーの悪癖、小さな博打はこの時分に始まっているのです。お金を送ってもらった礼状の後ろの方で、早くも次の借金を匂わせたりしていて、何か背筋が寒くなるような所があります。
兄と、出版や翻訳、小説売込みなどを画策するのですが、皮算用と言うか、大風呂敷と言うか、目論見では何千ルーブリも簡単に入ってくるような話をすぐに始めます。机上の計算は極めて綿密に見えますが、次の手紙ではその計画がたちまち頓挫しているのです。
一体に彼の手紙は、金額やら日付やら人名など極めて具体的です。それで意外と説得力があるのでしょう。そして一通づつがとても長いのが特徴です。兄のミハイル宛が特に長い。弟のアンドレイ宛ては実に短い。嫌いだったようです。
父親の遺産を巡る後見人とのやり取りも緩急自在、手練手管の手紙の応酬と言う感じで、そのエネルギーは凄いものです。
こんな中で、「貧しい人」が評価され始めて、世界の大作家が誕生してゆくわけです。人間学の極めて興味深い材料と言えるでしょう。
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2012年4月3日 | コメント/トラックバック(0) | トラックバックURL |