賢治没後80年

80年前の昭和8年9月21日(木曜日)午後1時半すぎに、宮澤賢治は37歳で、故郷の実家の2階でなくなりました。

前日の夜は、見ず知らずの農家の人が賢治を訪ねてきました。賢治は家人の制止を聞かずに2階病室から降りて来て、正座のまま1時間ほど肥料の相談に親切にのってあげ、とても疲れたということです。

賢治は9月21日の昼頃に、国訳(日本語訳)妙法蓮華経を一千部作り(装丁も指示)知友の人に配布するように遺言します。そして、一杯の水をうれしそうに飲んで「ああ、いいきもちだった」と言い、自分で体中をオキシフルを含ませた消毒綿で拭き、「ああ、いいきもちだ」と繰り返した後、寝入ったように見えた途端、息を引き取ったという事です。

賢治の肖像写真は何枚もありますが、後年は、若いころのふっくらしたところが消え、東北砕石工場技師時代の写真はげっそりと頬がこけ、痛ましい。

昭和6年9月20日、大型トランクに、石灰や石粉をセメントで固めて作った建築壁材材の見本を一杯詰め込んで、東京に売り込みに行ったのが決定的に体を痛めたと思われます。重かったでしょうね。発熱が続き在京1週間ほどで、花巻に戻っています。

この最後の上京の日から正確に2年後、この世を去ったのです。運命の符合のようです。

以上の事は、筑摩書房の校本宮澤賢治全集所収の年譜に教えてもらいました。興味ある方は是非ご覧ください。


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