尾崎さん

2月4日は尾崎喜八の命日です。1974年に亡くなっていますから今年でちょうど没後50年です。この機会に文庫本で名作集くらい出ても良いと思うのですが、どうでしょう。ひと昔前はよく読まれた詩人、随筆家、翻訳家でした。



ヘッセやリルケ、ロマン・ロラン達を愛し、山を愛し、音楽を愛して縦笛などを吹く。この人とよく似た感じの著作家がいます。串田孫一や片山敏彦です。3人共、実に雰囲気がそっくりです。現に付き合いもあったみたいです。



ちょっと読んだだけでは何となく、青少年向きの健全な本をたくさん書いた人たちみたいですが、尾崎喜八は戦前は戦争迎合みたいな詩をかなり書いていますから、戦後、生きにくい時があったでしょう。飄々とした風貌の下に人に見せない表情を隠した詩人、として見る視点での再評価があっても良いと思います。



古本屋で探してみてください。



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99歳

昨日1月14日は三島由紀夫の誕生日でした。彼の場合、11月25日のあの事件がありましたから、命日は覚えている人も多いと思いますが、誕生日は意外と知られていません。



大正14年生まれですから、ちょうど昭和の年号が満年齢と一致しています。私の母親も大正14年生まれで今年5月で99歳を迎えます。三島由紀夫も生きていれば昨日99歳になったはずです。



老いを極度に嫌がった人ですからちょっと想像することはできませんね。



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尾崎は面白い

ちょっとした拍子に尾崎紅葉をパラッと読んで、なかなか面白いと思いました。なんだか古い古い人みたいに思いますが、夏目漱石より一つ年下です。漱石は今読んでも古さは感じませんが、尾崎紅葉は文語体の作品が多いので江戸時代かと思えるくらいです。ここらへんが漱石よりも読まれなくなった原因かも。



でも少し辛抱して読むと、実はなかなか斬新で現代的です。お笑い系みたいな側面も実に多い。有名な「金色夜叉」は正月のかるた会の場面から幕があきますが、そこにいたお宮さんの前に富山という金持ち男がさっそうと登場します。指には300円の金剛石(ダイヤモンド)が散りばめられた金指輪が燦然と光っています。



それを見た人たちがそれぞれに言葉を発するのです。



「金剛石!」「うむ、金剛石だ。」「金剛石??」「成程金剛石!」「まあ、金剛石よ!」「那(あれ)が金剛石?」「見給へ、金剛石。」「あら、まあ、金剛石??」「可感(すばらし)い金剛石。」「可恐(おそろし)い光るのね、金剛石。」「三百円の金剛石。」



ここではズラズラと続けて書きましたが、原文では一人一行づつ改行されています。「金剛石」にはことごとく「ダイヤモンド」とフリガナがつけられています。すごい効果ですね。ダイヤモンドの光が眩しいほど感じられます。



と同時に、一人ずつの舞台のセリフだと思うと、ちょっと吉本的でさえあります。つまり滑稽なのです。



読んでみてください。



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吉田さんと大和

今日1月6日は「戦艦大和ノ最後」の著者、吉田満の誕生日です。1923年生まれですからちょうど生誕100年です。



「戦艦大和ノ最後」はいろんな形で出版され、文庫本にも何度かなっているのでお読みになった人も多いと思います。初めての出撃で沖縄の海に沈んだ戦艦大和に少尉として乗り組み、九死に一生を得て生還。吉川英治に勧められて執筆。小林秀雄が雑誌「創元」に掲載しようとして占領軍のために全文抹消。占領終了後、初めて単行本として世に出て、感銘を与えました。



漢文体の読み下し文のような簡潔な叙述で、沈みゆく巨艦とその乗組員を記録して、叙事詩としての性格も備えた名文です。ただの戦記文学とは明らかに異なり、不朽の命を持つ作品です。



御本人はそののち、サイダー瓶の破裂によって右目を失明、またご自宅が全焼、発病など、いろんな災難に会われますが、死を前提にした大和乗組員時代の経験に比べたら何ということはない、と恬淡とされていたとのこと。



戦中派は、自分の命を問わない教育の結果、一度捨てた命だからと戦後もがむしゃらに働き、肉体酷使の習慣を身に付けたままぽっくりと50代で死ぬ人間が多い、悲しいことだ、大いに長生きしようではないか、と御自分でも書かれていましたが、結局、それが絶筆となり昭和54年に56歳で亡くなられました。日銀上層部の現役としての死でした。



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189

今日は夏目漱石の命日です。毎年書いていると思いますが、49歳で亡くなりました。今で思うととても若いです。胃潰瘍による出血が直接の原因でしょう。



朝日新聞に「明暗」を連載中で189という回数を示す数字を原稿用紙の右肩に書いて、そのまま机に突っ伏して苦しんでいたらしい。私も去年、胃潰瘍の出血を経験しましたが苦しいなんてものではありません。床をのたうって転げ回るしかありませんでした。脳貧血で立ち上がれません。胸がなんとも不快で、心筋梗塞かな、と思いましたが痛いというよりも不快なのです。漱石の苦しみはよく判ります。



漱石は何度も胃潰瘍を繰り返していますから、病気のことはよく知っていたはずですが、食養生ができなかったといろんな文献に書かれています。好きなものには目がなく、自制心が働かなかったとか。私も脂っこい天ぷらや濃いコーヒーなどが好きなんですが、今のところは控えています。



よく考えると漱石は子沢山でしたが孫の顔を見ずに死んでいますから、私は二人も見れて幸せだと思うのです。節制することも少しずつ緩めても良いかも。



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