三十五

今日は直木三十五の命日です。1934年に亡くなりましたからちょうど没後90年。大阪の古書会館の近く中央区安堂寺町の生まれです。本名は植村と言いましたが、「植」の字を分解して「直」「木」としてペンネームにしました。



市岡中学を出て、しばらく谷町6丁目の薄医院でアルバイトをしています。親戚の友人という事でした。この薄さんの取りなしで、親が反対した早稲田大学に入学していますから、恩人と言えるでしょう。



薄さんは相撲取りが大好きで応援していました。今でも相撲の後援者を「たにまち」と言うのは、この薄さんの住まい、谷町から来ているそうです。



直木自身は相撲が好きだったか知りませんが、囲碁将棋はとても好きだったそうです。囲碁は日本棋院から初段を贈られています。将棋の方はそれほどではなかったらしいがそこそこ強かったようです。「文藝春秋 直木三十五追悼号」に棋狂子というペンネームの人が思い出を書いていました。



文藝春秋の麻雀大会で、その人が手持ち無沙汰で作家の池谷信三郎と将棋を指していてあっさり負かすところを直木が見ていて、池谷のあとに将棋盤の向こうに座った。駒を並べ終わって直木の方をふと見ると大駒が2枚無い。大変な自信です。棋狂子がカッとなってまともに指せないので、直木がゆうゆうと攻めてくる。



これではいけないと棋狂子が落ち着いて考えて指し始めるとたちまち形勢逆転。すると直木はさらりと駒を投げると「失敬」と低く一言、ぷいと立って姿を消してしまったそうです。



まあこのことからも判りますが、マイペースで人の意を気にしないところが有ったようで、家賃18ヶ月滞納事件や色々言われています。



しかし大阪生まれの作家として、10年後の没後100年をターゲットにして、もう少し大々的に顕彰しても良いと思います



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