半七さん
本好きの人はその内容だけでなく、装丁や挿絵などにも愉しみを見出します。さらに本自体、つまり印刷や製本にも好みが出たりします。
昔から精興社の活字印刷は細身の字体が美しいので愛好する人が多い事は、以前書いたかもしれません。
それと同様に、美術書などの印刷の美しさでは、半七写真印刷工業株式会社が有名です。
創業者の田中松太郎は美術印刷の草分けで、明治時代、ヨーロッパに十年余り滞在して、その技術を日本に伝えたと言います。
その十年という長い年月、奥さんが辛抱強く待ち続けたので、浄瑠璃の「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)」の女主人公お園の「今頃は、半七さん、どこでどうしてござろうぞ」と夫の半七を待ちわびる有名なクドキから、開業当初、田中半七製版所という社名にしたそうです。
何とも洒落た社名のつけ方です。
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2015年6月30日 | コメント/トラックバック(0) |
カテゴリー:古本
鉛筆が一本
2Bなどという鉛筆が主流になりつつあると聞いてビックリです。
私の学生時代は文句無くHBでした。固めの好きな人はH。Fなんて言う訳の判らない硬さもありましたが、少数派。
書き味と言い濃さと言い、HBは王座を保っていました。戦時中は「中庸」と言われていたらしい。
2B流行は、子供や学生の筆圧が弱くなってきた為ではないかと言われています。
今は三菱鉛筆とトンボ鉛筆が市場を独占しているようですが、昔はコーリン鉛筆もありました。平成に入って倒産しましたが、再びコーリンブランドが復活しているとのこと。
懐かしい名前です。
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2015年6月29日 | コメント/トラックバック(0) |
カテゴリー:雑感
猫優勢。
動物病院に久しぶりに行きました。来たばかりの仔犬が咳をするので診察を受けるためです。
日曜日にもかかわらず、と言うか日曜日だからこそでしょうか、満員でした。
待合室はさながらペットショーみたいです。
トイプードルあり、チワワあり、ブルドッグあり、ラブラドルあり、正体不明あり。
どの子もよく躾けられているのか、静かに落ち着いています。
猫も多い。こちらはケージに入っているので姿が見えませんが「ナーゴ、ナーゴ」と存在を主張しています。
亡くなった「タマ駅長」以来、猫本人気もあってか、今は猫のほうがペットとして人気があるそうですが、病気にかかるのは圧倒的に犬のほうが多そうですね。
当店は羽曳野市、藤井寺市では重点的に買い取り推進しています。近隣です。そして近畿一円、遠方にも日曜祭日を問わず、いつも元気に積極的に、無料出張買取を行っています。見積もりも勿論無料です! 見積もりだけでもどうぞ!かなり好評です。買取実績、非常に多数。夜間買取しています。真夜中相談歓迎です。お客様のライフスタイル合わせます。店主の池崎潔史が必ずお伺いいたします。本、古書の売却をご計画でしたら、量の多少にかかわらず、ぜひ大阪府古書籍商業協同組合加盟店
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2015年6月28日 | コメント/トラックバック(0) |
ルル、ルー
去年の秋から犬が居なくなった我が家に、生後3ヶ月のチワワとダックスフンドのミックスの仔犬がやってきました。チワックスという犬種とのこと。
我が家では雄犬、雄猫が続いてきましたが、今回初めての女の子です。
御縁があって来てくれたわけですが、犬にとっても飼い主にとっても手探りの始まりです。
今までは外犬でしたから大らかに育てられましたが、初めて家の中で飼うのでいろいろ細かい躾をしないといけません。
初めからスムースにトイレで大小をしてくれたので、何とか第一関門突破です。
カンガルーに似ているので、「ルー」か「ルル」と言う名前になりそうです。
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2015年6月27日 | コメント/トラックバック(0) |
カテゴリー:ペット
小泉VS河上
小泉信三が「河上肇博士の経済学の本は価値が無いが、自叙伝は後世に残る」と言ったと、小林勇の随筆集「彼岸花」に書かれています。
当の小泉博士の経済学の本も河上肇同様の運命を辿っていますが、さらには小泉さんは河上肇の自叙伝のような古典足りうる著作は残していません。小泉博士は現天皇の婚儀のお膳立てをした人として歴史に残るでしょう。もって瞑すべし。
確かに河上肇の「自叙伝」は一人の人間の赤裸々な記録として傑作です。同時に彼の日記や書簡も生き生きとした彼のポートレートとして貴重です。
日記を拾い読みしていると、巧まずしてユーモラスでおっちょこちょいの人柄が髣髴します。
昭和14年2月27日(月)
今日銭湯へ行ったら(略)番台の女が「(略)いつか下駄をお間違になりはしませんでせうか?」(略)「いや私はうちからはいて来たばかりですが」と云ふと「ちょっと見てください」といふ。番台の下に二足揃へてある下駄を見ると、ひどく古びた親指の跡のついてゐる、鼻緒の切れそうになつてゐる下駄が、新しいおろし立ての下駄と並べてある。そのおろし立ての下駄を自分は今日履いて来たのだが、しかし古びた方が明かに自分の下駄である。私は数日前から下駄のはなをが新しくなつて居るのには気づいてゐたが、それはうちの者がいつの間にかすげかへてくれたものとのみ思ひ込んで居たが、あに計らんや、私は銭湯でいつの間にか他人の新しい下駄を履き違へて帰つて居たのであつた。私は赤面しながら散々詫びを言つて帰つた。
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2015年6月26日 | コメント/トラックバック(0) |