吉行さん

今日、4月13日は作家の吉行淳之介の誕生日です。1924年生ですからちょうど生誕100年になります。その割には出版の世界でも、これといったイヴェントもないみたいですね。少し不思議。



昔だったら生誕100年記念で大規模な全集が出たりしたものですが、この人、生前にすでにかなり完備した吉行淳之介全集が合計3度、短編全集が2度、長篇全集が1度、エンタテインメント全集が1度出版されていますから、今更という感じかもしれません。



「夕暮れ族」「すれすれ」などといった洒落た言葉をはやらせたりもしました。銀座のクラブでのマナーにかけては達人だったようで「ももひざ3年、しり8年」なんていう教訓も残しています。ホステス相手にさらっとまったく嫌味なくタッチするにはそれくらいの年季がかかるらしい。



お父さんが作家、お母さんが美容師のあぐりさん、妹二人が詩人小説家と、女優というように、才能のある人ばかりの一家でした。



本人は遊び人で紳士で対談の名人、文章の彫琢にかけては文壇随一と言われていました。今はあまり読まれていないのが残念。



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くるっと

今日は山の文学者、小説家の深田久彌の誕生日です。小説もたくさんありますが、山の方では「日本百名山」が有名ですね。この本片手に、片っ端から登ってやろうという登山愛好家もお大勢おられることでしょう。最近では「日本百低山」というのも流行っているそうです。



この深田さんの奥さんが北畠八穂という童話作家です。奥さんだったと言ったほうが良かったかな。北畠さんが病弱だったので、深田さんが他の御婦人とよからぬことになって、結局離婚となりました。離婚した途端、北畠さんが「夫の小説の方の作品は殆ど私が書いたもの」と暴露して騒ぎになったそうです。



この北畠さんのエッセー集「透った人人」の中にちょっと意外の話がありました。北畠さんが鎌倉に住んでいた時、川端康成と親しくなったそうです。ある時、小林秀雄がやってきてオリンピック映画(おそらく戦前のベルリン大会)を見てきて素晴らしかった話をしたそうです。見に行けないので病床で気分が沈んでいた時に川端がやってきて、彼女を元気づけようと、「オリンピックをやってあげましょう」と言うなり羽織を脱ぐと、畳一畳の上でくるっとトンボを切ったと書いてあるのです。



あの川端が、とびっくりしました。まあ肥満タイプでないので可能でしょうが、歌舞伎の世界でも若手は練習すると言いますから、普通の人は怖くてとっさにはできないでしょう。



川端康成の隠れた一面でした。



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また安倍さん

昨日、安部公房さんのことを書きましたが、もう少し。



安倍さんは作家の中でもいち早くワープロで執筆した一人です。パソコン全盛以前に人気がありましたね。日本語ワード・プロセッサ、略してワープロ。つまりは電気タイプライターみたいなものでした。画面を見ながらタイピングして入力し、画面の中で校正やレイアウトが出来、それを紙の上に印字する。



つまり本の形の一歩手前までが家の中で実現できるわけです。年賀はがきを印刷したり、住所録を作ったりした思い出があります。しかしパソコンが段々と使いやすくなり、当初からワープロ機能がソフトとして載っているのが主流になると、あっという間にワープロの専用機は消えてしまいました。



安倍さんももう少し長生きされたら、必ずパソコンに移られたと思います。遺作がワープロのフロッピーに残されていた、という話を聞くと、ああ、と思います。今みたいなネット社会をご覧になったらどうだったでしょうか。



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隆さん

昨日、2月28日はフランス文学者の辰野隆の命日でした。1964年に亡くなりましたから没後60年です。彼は東京駅や日銀本店を設計した建築家、辰野金吾の息子でした。



自身は東京大学文学部のフランス文学科を出て、母校の教授として大勢の人材を育てました。その中には渡辺一夫や小林秀雄、今日出海、太宰治、福永武彦、大江健三郎など、綺羅星のような人材にあふれています。小林秀雄などは辰野隆からしょっちゅう本を借りて行ってはページの間にフケをいっぱい挟んで返したそうで、そのフケを払い落とすのがひと仕事だとぼやいたとのこと。



また、座談の名手としても有名で、天皇の前で徳川夢声、サトウハチローらと放談したのが「天皇陛下、大いに笑う」という記事にもなったくらいです。またエッセイストとして沢山の著作を残しています。大学の先生で随筆全集のようなものを出したのはこの人が初めてだそうで、それ以後、同種の出版が続きました。



まあ、良き時代の名物教授だったわけです。



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黒岩さん

今日は作家の黒岩重吾の100回目の誕生日です。大阪、天王寺を舞台にした作品をたくさん書かれました。また後半は、日本の古代史に題材をとった歴史小説を残されました。



波乱にとんだ生涯で、若い頃はイカモノ食いのグループに入って、腐った肉を食べて体が麻痺し、仕事もできなくなり占い師で生計を立てた時期もあるとか。



歴とした大阪出身の作家ですが、言葉とかも東京人と余り変わらなかったそうで、コテコテでないのが少し残念です。



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