高めたい

昨日は大阪古書組合で買取本の仕分け、整理、出品の共同作業でした。4回目になりますが、さすがの大量の仏教関係書もやっとめどがつきました。



あとは各市会に出品して見ていただいて、新しいお店に旅立ってくれるのを待つばかりです。私のように、狭い分野の本ばかり扱っていると、どうしても勉強不足になり広大無辺の本の世界の端っこしか経験できません。



遅きに失していると思いますが、生涯勉強と開き直って少しづつでも経験値を高めたいものです。



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2024年7月23日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:古書 古本 大阪 買取

仕分け仕分け

昨日は大阪古書組合で、参加している即売会組織が仕入れた本の仕分けのお手伝いでした。何しろ分量が多いので、7人がかりでいくら頑張っても終わりません。



宗教系ですのでよく判りませんが、良さげな本はそれなりの顔をしているものです。処分する分と分けていって良さげな本はまとめてくくってはカーゴに乗せてゆきます。



こけからアチラコチラの市会にぼつぼつと出品されてゆくと思います。楽しみですね。



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5メートル

人間の脳みそはその殆どが使われていなくて、やたら性能の良いパソコンの機能を殆ど使ってないみたいな事らしいと、昔教わりました。脳細胞の数が100億とか、子供向けの科学読み物に書かれていたりしましたね。それでも毎日、何万と脳細胞が死んでゆくとか、脅かしていました。



まあ、それを信じるとして、年齢とともに記憶力が衰えるのはどうも本当らしい。最近も、古書組合の市会の目録に載せるのに良い本が見つかったと喜んだまではいいのですが、載せてから、しばらくしてその本を探すと出て来ないんですね。確かに見て、引きずり出した感触まで覚えているのに、それがどの倉庫だったか、あやふやになるのです。



こういう場合、えてして、遠くの倉庫へ探しに行ったりします。何となくそんな気がするのです。記憶が薄れたのは距離が遠いせいだと、無意識に思うんでしょうか。行っても無い。徐々に近くを探し出して、結局、いつも作業している机から5メートルほどのところで発見したのするのです。



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ささいな運試し

時々些細なことを書きます。いつも些細かもしれませんが。



食パンのよくある袋、あれはたいてい直線の熱処理か何かして閉じられていますね。開くときはその少し下の所を左右から引っ張ると、その閉じ目がキレイに左右に剥がれてパンを取り出せます。あとは何というのでしょうか、プラスチックみたいなので出来た小さな四角の、切れ目が入ったもので袋を閉じます。



完全には閉じてないのですが、気持ち的にはあれで十分です。



ところが、袋を引っ張って開ける際に、時々、きれいに左右に分けられず、どういうのか開け口が片方だけに開いてしまうことがあります。こうなるとそのブラの閉じる道具がうまく使えなくて、袋をむりやりひねって輪ゴムか何かで押さえておくしかなくなります。



朝のひととき、なにか運試しみたいな気持ちで新しいパンの袋を開けるのは私一人ですかね。



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支障なし

1955年の今日、岩波書店の広辞苑が誕生しました。私も昔、広辞苑を机の上に置いていたことがありました。しかし、あの重たい辞書を気軽に引くにはかなり抵抗があり、ちょっとした漢字調べには小型の辞書に頼っていたものです。



5月25日はもう一つの大辞書が完成した日でもあります。大修館の大漢和辞典全13巻の最終巻が1960年の今日、出版されました。編者の諸橋轍次が半生をかけて完成しました。諸橋と大修館社主の鈴木一平の出版苦労話は、出版史でも感動の1ページとして取り上げられたものです。



この大辞書も新版が出たため、旧版の13巻本は古書業界でも可愛そうなほどの値崩れになって、罪悪感を覚えるほどです。通常の使用には旧版でもほとんど支障がありませんから、欲しい人は今がチャンスです。古本屋に注文しましょう。



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