子どもと落語
ポプラ社は児童書の出版社ですので、子供向けの落語の本も出していました。桂米朝の「落語と私」が有名ですが今日の話題はそれではありません。
「子ども落語」全6巻です。1巻平均20席収録ですから、全部で落語120席。堂々たるものです。
先日の仕入れに混じっていました。
著者は柳亭燕路。「落語家の歴史」という立派な著作も残している落語家です。
この「子ども落語」、単に子供向けにリライトした落語集かと思いましたが、なかなか、そんな単純な物ではありませんでした。
「寿限無」「子ほめ」「佐々木裁き」「桃太郎」「初天神」など、子どもが出てくる話はもとより、「かんじょう板」「紀州」等の短めの洒落た噺、「馬のす」「猫の茶碗」「のめる」等の皮肉な噺、「花筏」「しぶ酒」等の、子どもには難しいだろう噺まで収録されています。廓噺は流石にありませんが、これは仕方ないでしょう。
その代わり、各巻には「中入り」と称して、「いつもより多い目に回しております!」の海老一染之助・染太郎や紙切りの林家正楽、奇術のアダチ竜一、曲独楽の三益紋也といった、どちらかと言うと地味な色物の芸人さんからの聞き書き対談を挟むなど、芸能好きには堪らない内容になっています。
落語ブームの昨今、復刊して欲しいものです。
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2015年7月23日 | コメント/トラックバック(0) |
小泉VS河上
小泉信三が「河上肇博士の経済学の本は価値が無いが、自叙伝は後世に残る」と言ったと、小林勇の随筆集「彼岸花」に書かれています。
当の小泉博士の経済学の本も河上肇同様の運命を辿っていますが、さらには小泉さんは河上肇の自叙伝のような古典足りうる著作は残していません。小泉博士は現天皇の婚儀のお膳立てをした人として歴史に残るでしょう。もって瞑すべし。
確かに河上肇の「自叙伝」は一人の人間の赤裸々な記録として傑作です。同時に彼の日記や書簡も生き生きとした彼のポートレートとして貴重です。
日記を拾い読みしていると、巧まずしてユーモラスでおっちょこちょいの人柄が髣髴します。
昭和14年2月27日(月)
今日銭湯へ行ったら(略)番台の女が「(略)いつか下駄をお間違になりはしませんでせうか?」(略)「いや私はうちからはいて来たばかりですが」と云ふと「ちょっと見てください」といふ。番台の下に二足揃へてある下駄を見ると、ひどく古びた親指の跡のついてゐる、鼻緒の切れそうになつてゐる下駄が、新しいおろし立ての下駄と並べてある。そのおろし立ての下駄を自分は今日履いて来たのだが、しかし古びた方が明かに自分の下駄である。私は数日前から下駄のはなをが新しくなつて居るのには気づいてゐたが、それはうちの者がいつの間にかすげかへてくれたものとのみ思ひ込んで居たが、あに計らんや、私は銭湯でいつの間にか他人の新しい下駄を履き違へて帰つて居たのであつた。私は赤面しながら散々詫びを言つて帰つた。
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2015年6月26日 | コメント/トラックバック(0) |
クラシック祭り、文庫祭り
快晴の下「四天王寺春の大古本祭り」の搬入でした。
予定時間よりもかなり早くテントや売台の設営が済んでいたので、スムースに本の運び込みが完了。
組合に預けていた分も合わせて、ピッタリのボリュームになりました。
当店は今回、直前に入荷したクラシックLPを思い切った特別価格で御提供いたします。合わせてクラシック音楽の各種楽譜も大量にご用意していますので、これはもう、クラシック音楽祭りと言って良いのではないか。
文庫本もいつも以上に、売台3台分、蜜柑箱にして22箱分の絶版文庫、精選文庫を並べています。これはもう(しつこい)、文庫本祭といって良いのではないか。
明日午前10時オープンです。29日まで、毎日午前10時~午後5時半頃まで(最終日は午後5時閉場)。
大阪市天王寺区の四天王寺境内が会場です。
御来場を心からお待ちしています。
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2015年4月23日 | コメント/トラックバック(0) |