速記者たちの証言
国会中継、特に予算委員会などで目立つ場所に座っていながら、殆んど下を向きっぱなし。10分ごとに筆記した紙をもって入れ替わってゆく人たち。速記者の目から見た国会風景のインタビューをまとめた、「速記者たちの国会秘録」菊地正憲著 新潮新書が、なかなか面白いです。
彼らの目から見た良い人とは、言語明晰で、言い間違いの少ない、ゆっくりと論理的にしゃべる人とのことです。評判がよいのは、意外や意外、大平正芳さんでした。「アー、ウー」は速記しないでよいし、話自体を抜き取れば、完璧に論理的だったらしいです。中曽根康弘さんも女性速記者に圧倒的に人気があります。
早口の田中角栄さんや徳田球一さん、石原慎太郎さんは速記するのに手ごわい難物だったとか。
速記者という独特の視点からの国会観察は、言論の府としての国会の意味を改めて考えさせてくれますが、この速記も国会では段階的に廃止する方向になっているとのことです。120年の歴史が閉じられつつあります。
最後に、先ごろ亡くなった立川談志さんの思い出話。
「あの人は質問の際、『でやんしょ?』なんて江戸弁のような言葉が頻繁に出てくるんですよ。テレビで見るのと同じようにね」
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2011年12月25日 | コメント/トラックバック(0) |
小掃除しました
大掃除などとてもできませんので、小掃除しました。机の上や、机周りの床に積み上げてあった本達を、別の場所へ、目立たぬところに移動しただけ。しかし、すっきりしました。
以前すっきりしたのは、春の頃だったか、それとも去年の冬か、定かでありません。今回も、何週間かはすっきりでしょうが、たった1冊でも、本が何の気なしに置かれますと、あれあれ、川の棒杭に、流れている何やかやが引っ掛かって、堤防のようなものができて最後は流れをせき止めてしまうように、色んな本が引っ掛かって私を取り囲みて、私はその中にすっぽりと入らざるを得なくなるでしょう。
本の要塞状態です。でも、居心地は決して悪くないのです。頭の中では順序良く、処理待ちの本の明細がはっきりできていますが、家人などからみれば、ただただ不精のモニュメントでしょう。
断捨離は古本屋にとっては縁なき言葉です。
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2011年12月24日 | コメント/トラックバック(0) |
高見順と植草甚一
高見順と植草甚一。不思議な取り合わせです。
実は、先日、高見順日記の揃、正続全16巻が入荷しました。さして珍しい本ではありません。何の気なしに、ページ繰りのつもりで続篇の最終巻、初期の日記を見て驚きました。高見さんが府立第一中学1年の時の日記が収録されてます。挿絵代わりに凸版で、現物の日記の1頁が複製されていたのですが、これが植草甚一さんの筆跡にそっくりです。
植草さんの全集、「植草甚一スクラップ・ブック」には月報として、植草さんの日記が、やはり凸版で連載されていて、私などはその何とも若々しくて読みやすい、それでいて味のある筆跡にうっとりしたのでよく覚えていたのですが、寸分たがわぬと言ってよいほど似ています。お二人をよく読んでいる人に、是非とも見比べて欲しいと思います。
不思議な気がして、お二人の年代を調べると、歳は高見順が一つ上でした。育ったのが高見さんが港区麻布、植草さんがその隣の中央区。同時代人、御近所同志と言えるでしょう。大正の中ごろ、東京の中央区、港区辺りでは、あの書体が子供たちの間で流行ったのでしょうか。
植草さんが、亡くなる70歳代まであの筆跡だったのに比べ、高見さんはその後、どんどん筆跡は変化して、文士らしい、細身の草書体になりました。
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2011年12月20日 | コメント/トラックバック(0) |
米朝さんの事 その2
米朝、と言っても米国と朝鮮民主主義人民共和国の関係ではありません。
さて、桂米朝さんは「たちぎれ線香」の番頭は、若旦那がまたしても小糸の元へ行くのを知っていた、その腹でやっていますと、お手紙の中に書いておられます。米朝さんの師匠、先代の桂米団治もその気持ちで演じていたとも書いておられました。
つまり、ここで番頭を、世の中の酸いも甘いも知りぬいた、ある種、度量の大きな大人にすることは、未熟な若旦那と小糸の悲恋をより哀切にする効果があるとの判断からではないかと、私はひそかに思っています。
当っているかいないか、皆様、ぜひとも実際に噺を聴いてみてください。落語の世界の深さを味わっていただけるかと思います。ただし、名人で。
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2011年12月19日 | コメント/トラックバック(0) |
米朝さんの事
落語の事をもうひとつ。
桂米朝さんの大ネタは沢山あります。「百年目」「地獄八景亡者戯」「らくだ」「三十石」そして「たちぎれ線香」。
最後にあげた「たちぎれ線香」はあまり笑いはありませんが、後半のしんみりした情緒、情感は文学的です。
大店の若旦那が花街の若い芸伎小糸にいれあげて、番頭から、百日の蔵住まいを仕置きとしてさせられます。小糸から手紙が来た事を、百日目に蔵から出た日に知らされて、番頭を言いくるめて店を飛び出して小糸の元へ飛んで行きます。
ところが小糸は死んでいた。置き屋のおかあはん朋輩衆と、小糸を偲んで悲しい酒を飲んでいると、小糸の為に若旦那が誂えてやった三味線がひとりでに「黒髪」をかなで始めます。若旦那の、生涯めとらぬとの誓い。突然、三味線が静かになる。もっと聞かせてほしいという若旦那に、おかあはんが「もう、弾きまへんやろ。仏壇の線香がちょうどたちぎれました」
花街ならではの、線香をくすべて、一本燃え尽きるまで幾らで花代を仕切る習慣を利用しての、哀切な見事な下げです。
私はこの噺、若い二人は勿論かわいそうだが、辛抱役、憎まれ役の番頭も味わい深いと思います。前半は主役と言ってよいでしょう。聞きどころは、蔵から出た若旦那の一生懸命の嘘(神様に願かけて、お礼参りにゆくとの嘘)を、知ってか知らずか、まともに受けて若旦那の外出を許すところでしょうか。桂米朝さんの口演を聞くと、若旦那が花街に走ることを判りながら、出してやったとしか聞こえません。そうすると、親旦那に対して、申し訳が立たない道理ですが、百日の蔵住まいで、もう大丈夫の自信があったのでしょうか。ここら辺の演出の苦心を米朝さんに手紙でお聞きした事があります。
続く
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2011年12月18日 | コメント/トラックバック(0) |