高見順と植草甚一
高見順と植草甚一。不思議な取り合わせです。
実は、先日、高見順日記の揃、正続全16巻が入荷しました。さして珍しい本ではありません。何の気なしに、ページ繰りのつもりで続篇の最終巻、初期の日記を見て驚きました。高見さんが府立第一中学1年の時の日記が収録されてます。挿絵代わりに凸版で、現物の日記の1頁が複製されていたのですが、これが植草甚一さんの筆跡にそっくりです。
植草さんの全集、「植草甚一スクラップ・ブック」には月報として、植草さんの日記が、やはり凸版で連載されていて、私などはその何とも若々しくて読みやすい、それでいて味のある筆跡にうっとりしたのでよく覚えていたのですが、寸分たがわぬと言ってよいほど似ています。お二人をよく読んでいる人に、是非とも見比べて欲しいと思います。
不思議な気がして、お二人の年代を調べると、歳は高見順が一つ上でした。育ったのが高見さんが港区麻布、植草さんがその隣の中央区。同時代人、御近所同志と言えるでしょう。大正の中ごろ、東京の中央区、港区辺りでは、あの書体が子供たちの間で流行ったのでしょうか。
植草さんが、亡くなる70歳代まであの筆跡だったのに比べ、高見さんはその後、どんどん筆跡は変化して、文士らしい、細身の草書体になりました。
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2011年12月20日 | コメント/トラックバック(0) | トラックバックURL |