大砲で学ぶ

1863年の今日、薩摩藩とイギリス海軍の間で戦闘が始まりました。日本史で習った薩英戦争ですね。その前年に横浜の生麦で島津久光の行列を乱したとして、イギリス人数名が切りつけられて1名が死んだ事件がありました。これも習った生麦事件です。



幕府は賠償金を早々と支払いましたが、薩摩藩は拒絶、鹿児島湾にイギリス艦隊がやってきて船を拿捕したりして圧力をかけます。それに対して、薩摩藩が砲台から発泡。英艦隊も応戦。半日足らずで鹿児島市の10分の1が焼け、砲台は壊滅。イギリスの方も艦長達が戦死しました。一つの藩が勝手に戦争を始めるのですから、いかに当時の幕府が弱体化していたががよくわかります。



この戦いで日本の砲術の正確なことが立証されましたが、大砲が古かった。砲身の前から弾を込めるタイプでしたので、砲身の内側に線条がなくしたがって射程が1キロと短い。対してイギリスは最新式のアームストロング砲です。これは砲身の後ろを開けて弾込めするので砲身の中に線条を刻めますから射程が長い。4キロほどです。これでは負けますね。ただ、砲身の中のガス圧が高まって、何発も打つと砲身が破裂したそうです。不良品です。



イギリスはこれにこりて元の前込め式の大砲に戻したそうです。この一戦で薩摩もイギリスもお互いをよく知り合ったようで、のちに同盟関係になります。江戸幕府はフランスと手を組みます。薩摩はやがて改良されたアームストロング砲をイギリスから買って、幕末の上野の彰義隊を攻める時に使って、何発かで大勢を決してしまいます。幕府を応援する側の敗退でした。



薩摩は薩英戦争の時に学んだのですね。



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