師弟対談
桂枝雀さんの本はありそうで、生前はあまり出ていません。
落語集は無かったかと思います。その代わりに対談集がありました。テレビの「枝雀寄席」のゲスト対談の部分を活字に起こしたものです。パラパラ読むと、大層面白い。
トップが、桂米朝さんとの対談です。お互いに少し恥ずかしそうです。
開口一番
米朝「ええ家ができたね」
枝雀「ええのをこしらえて貰いました」
米朝「庭もええやないか」
枝雀「放送が終わったらあとかたも無うなりますが、ええ庭です」
米朝「しばらくここで暮したらどうや」
これが、セットを眺めまわしながらのやり取りです。普通の家の座敷のようなセットでした。これから調子が少しずつ出てきて、対談らしくなります。
米朝「40年たつと、どんなあかん奴でもあかん奴なりに、下手は下手なりに(略)味が出てくるものや。昔の万年前座といわれながら40年、50年もやっている人の落語は味があったなあ」
枝雀「まあ40年辛抱するちゅうことは難しいでしょうけどね」
米朝「できるこっちゃない。40年も下手でおるてなことは、難しい」
枝雀「最初から狙えることではおまへんわなあ(略)」
いい話でしょう。自然に落語になっています。
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2011年12月22日 | コメント/トラックバック(0) |
日記とブログ
このブログもいつの間にか140回になっています。私は別に日記も書いています。こちらは娘が生まれて半年後辺りから書き出しましたので、多分23年近く続いています。中学や高校の時も断続的に書いており、社会人になってからは、古本日記なるものまで書いてましたので、つくづく書くことが好きらしい。執念深いのかもしれません。
日記を続けるコツは、色々あると思いますが、普通の日記の場合、天気と事実だけを書くことだと思います。感想も時として書くことがありますが、私の場合、何処へ行って何をした、ということが多いです。アリバイを作る必要がある人は、私と会えばよいのです。
文学者は日記好きの人が多いです。有名なところで永井荷風、先日書いた高見順。徳富蘆花は露骨なスケベな日記を残しています。古川ロッパの日記も、喰い物の話が多くて知られています。長さでは多分、野上弥生子さんの日記が、巻数的には最も多いのではないかしら。
こういう人たちが今生きてたら、きっとブログを楽しんだでしょうね。
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2011年12月21日 | コメント/トラックバック(0) |
高見順と植草甚一
高見順と植草甚一。不思議な取り合わせです。
実は、先日、高見順日記の揃、正続全16巻が入荷しました。さして珍しい本ではありません。何の気なしに、ページ繰りのつもりで続篇の最終巻、初期の日記を見て驚きました。高見さんが府立第一中学1年の時の日記が収録されてます。挿絵代わりに凸版で、現物の日記の1頁が複製されていたのですが、これが植草甚一さんの筆跡にそっくりです。
植草さんの全集、「植草甚一スクラップ・ブック」には月報として、植草さんの日記が、やはり凸版で連載されていて、私などはその何とも若々しくて読みやすい、それでいて味のある筆跡にうっとりしたのでよく覚えていたのですが、寸分たがわぬと言ってよいほど似ています。お二人をよく読んでいる人に、是非とも見比べて欲しいと思います。
不思議な気がして、お二人の年代を調べると、歳は高見順が一つ上でした。育ったのが高見さんが港区麻布、植草さんがその隣の中央区。同時代人、御近所同志と言えるでしょう。大正の中ごろ、東京の中央区、港区辺りでは、あの書体が子供たちの間で流行ったのでしょうか。
植草さんが、亡くなる70歳代まであの筆跡だったのに比べ、高見さんはその後、どんどん筆跡は変化して、文士らしい、細身の草書体になりました。
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2011年12月20日 | コメント/トラックバック(0) |
米朝さんの事 その2
米朝、と言っても米国と朝鮮民主主義人民共和国の関係ではありません。
さて、桂米朝さんは「たちぎれ線香」の番頭は、若旦那がまたしても小糸の元へ行くのを知っていた、その腹でやっていますと、お手紙の中に書いておられます。米朝さんの師匠、先代の桂米団治もその気持ちで演じていたとも書いておられました。
つまり、ここで番頭を、世の中の酸いも甘いも知りぬいた、ある種、度量の大きな大人にすることは、未熟な若旦那と小糸の悲恋をより哀切にする効果があるとの判断からではないかと、私はひそかに思っています。
当っているかいないか、皆様、ぜひとも実際に噺を聴いてみてください。落語の世界の深さを味わっていただけるかと思います。ただし、名人で。
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2011年12月19日 | コメント/トラックバック(0) |
米朝さんの事
落語の事をもうひとつ。
桂米朝さんの大ネタは沢山あります。「百年目」「地獄八景亡者戯」「らくだ」「三十石」そして「たちぎれ線香」。
最後にあげた「たちぎれ線香」はあまり笑いはありませんが、後半のしんみりした情緒、情感は文学的です。
大店の若旦那が花街の若い芸伎小糸にいれあげて、番頭から、百日の蔵住まいを仕置きとしてさせられます。小糸から手紙が来た事を、百日目に蔵から出た日に知らされて、番頭を言いくるめて店を飛び出して小糸の元へ飛んで行きます。
ところが小糸は死んでいた。置き屋のおかあはん朋輩衆と、小糸を偲んで悲しい酒を飲んでいると、小糸の為に若旦那が誂えてやった三味線がひとりでに「黒髪」をかなで始めます。若旦那の、生涯めとらぬとの誓い。突然、三味線が静かになる。もっと聞かせてほしいという若旦那に、おかあはんが「もう、弾きまへんやろ。仏壇の線香がちょうどたちぎれました」
花街ならではの、線香をくすべて、一本燃え尽きるまで幾らで花代を仕切る習慣を利用しての、哀切な見事な下げです。
私はこの噺、若い二人は勿論かわいそうだが、辛抱役、憎まれ役の番頭も味わい深いと思います。前半は主役と言ってよいでしょう。聞きどころは、蔵から出た若旦那の一生懸命の嘘(神様に願かけて、お礼参りにゆくとの嘘)を、知ってか知らずか、まともに受けて若旦那の外出を許すところでしょうか。桂米朝さんの口演を聞くと、若旦那が花街に走ることを判りながら、出してやったとしか聞こえません。そうすると、親旦那に対して、申し訳が立たない道理ですが、百日の蔵住まいで、もう大丈夫の自信があったのでしょうか。ここら辺の演出の苦心を米朝さんに手紙でお聞きした事があります。
続く
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2011年12月18日 | コメント/トラックバック(0) |