向こう傷とむっつりの生みの親
佐々木味津三と言う作家もこの頃は読まれません。
大衆小説の書き手として昭和初年代は吉川英治と並び称されていました。「右門捕物帖」のむっつり右門、「旗本退屈男」の早乙女主水之介という不滅のキャラクターを産み出した作家です。
出発は純文学志向で、芥川龍之介や菊池寛とも親しく、雑誌「文芸春秋」の創刊同人でもありましたが、亡兄の子供を多人数養うために大衆文学に転じたのです。体の無理を押しての執筆がたたり37歳で早世します。
未亡人が三十三回忌の配り本として、故人の遺文集「落葉集」を非売本として昭和44年に出しました。古河三樹さん協力の詳細な年譜や著作目録などが充実した好ましい本です。
短いが味わいのある随筆がたくさん納められていますが、藤澤清造の死を悼む文章もありました。
藤澤清造は芥川賞作家の西村賢太さんの献身的な称賛が功を奏して、最近、再評価が著しいですが、生前は佐々木さんが書くように悲惨な生涯でした。佐々木さんも何かと援助し、代表作の「根津権現裏」は著者が自分で届けてくれたと書いています。藤澤清造の芸術は「足の裏でモチを踏みつけたやう」と評しています。上手く感じをとらえています。
藤澤清造が死んだときのジャーナリズムの無視と、同時期に亡くなった三宅やす子の持ちあげられ方の違いに義憤を漏らしています。
佐々木味津三、もう一度、せめてエッセーは読み返すべき人だと思います。
タグ
2012年6月1日 | コメント/トラックバック(0) | トラックバックURL |