恐妻家の昭和秘話
昔はよく聞かれたけれども、最近使われなくなった言葉に「恐妻家」があります。
戦前だからこそ、恐妻家はある種、ユーモラスな存在であり得たわけで、現代の亭主は戦前レベルからすると、ほとんどが恐妻家でしょうね。
その戦前から恐妻家の代名詞のように言われ、自らも認めていたのが阿部真之助です。ジャイアンツのキャッチャーではありませんよ。東京日日新聞(後の毎日新聞)の記者からNHKの会長までした人物です。毒舌の政治評論家でもありました。
「現代知性全集」と言う、かなり恥ずかしい名前のエッセー全集が昭和30年代に出ていました。何と全50巻で、時々100円均一で端本が出ていることがあります。その中に「阿部真之助集」がありまして、少し拾い読みをしたら面白い。
吉田茂論があり、吉田をポロカスにこきおろしています。少し憐れんでさえいる感じです。軍部と対立した硬骨ぶりを世間では評価しているようだが、政治的な対立ではなく、勲一等だった官僚(吉田)と勲一等の軍人の対立という構図にすぎないと言ってます。
その吉田が終戦工作に邁進せざるを得ないような文書があった、と阿部真之助は書いています。大本営極秘文書。その中でも特に「政治行政機構改造案」では一国一党、「国憲社会党」中心のプロレタリア独裁実現のために戦争を遂行すること。ソ連の政治機構そのまま引き写しだったとのこと。軍の意図が日本のプロレタリアート独裁化であると明確になったので、天皇制護持論者の吉田や近衛、眞崎らが慌てて終戦を画策しだしたというのです。
にわかには信じがたい文書ですね。キーナン検事も探し出そうとしたらしいが結局残ってなかったらしいです。もしこれが事実ならば戦争の性格自体が変貌します。本当ですかね。昭和史の専門店、厚生書店さんに聞いてみましょう。
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2011年10月24日 | コメント/トラックバック(0) | トラックバックURL |