時代小説とクラシック
推理小説や時代小説の作家には、クラシック音楽好きな人が多い。それも熱狂的な人がいます。
とりわけ鮎川哲也、赤川次郎、野村あらえびすこと野村胡堂、五味康祐が有名です。音楽やレコード、再生装置などについての本もそれぞれが物されており、人気も高い。
最近では、宮城谷昌光さんが群を抜いたクラシック愛好者である事は、出された本に現れています。
何と1000頁を超えるその本は、「クラシック 私だけの名曲 1001曲」新潮社版。
宮城谷さんが、何らかの意味で聴くに値すると思われた曲を1頁に1曲、推薦CDや作曲者紹介なども合わせて書かれています。
そのボリュームにも圧倒されますが、取り上げられている作曲家や作品が凄い、と言うか右顧左眄しない自由奔放な選択振りに溜飲が下がります。
一般受けするか等の配慮や、教科書みたいな当たらず触らず的、バランス志向的な記述は一切排除する姿勢が明快です。
日本人作曲家も、別宮貞雄、團伊玖麿、吉松隆、芥川也寸志、伊福部昭達の作品が採り上げられていますが、武満徹は採用無しと、旗幟鮮明です。いや、それくらいで驚いてはいけません。この本には、マーラーやブルックナー、さらにはモーツァルトさえ1曲たりとも出て来ないのです。文中「死ぬまで聴かないであろう」と豪語しています。大胆不敵でしょう?
でも、この本のスタンスを考えれば異議ありません。
お奨めします。
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2015年3月15日 | コメント/トラックバック(0) | トラックバックURL |