バランス
昨日、9月19日は評論家の加藤周一さんの誕生日でした。存命ならば御年105歳のはずです。彼は1919年の9月19日生まれという、とても覚えやすい誕生日なのです。
戦後に活躍し始めた文筆家としては彼は最も多産の一人だったでしょう。東大の医学博士であり、英独仏語に堪能で、各国の大学教授を歴任しつつ平和運動にも積極的にかかわり続けました。
私も若いころは彼の著作に引き付けられたものでしたが、文体が無駄がないというか、理詰めでぴしぴしと語ってゆくので、時々は砂をかむみたいな味気なさを感じたものです。
ただ、今みたいに情動的に世界が動く時代には、彼のような理性主義、主知主義の姿勢が、ある種のバランス上必要になってくるかもしれません。
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2024年9月20日 | コメント/トラックバック(0) |
本を探せ
黒岩比佐子さんの遺著「パンとペン」について書きましたが、書中、堺利彦が獄中の時、奥さんに本の差し入れを命じた手紙が何通か引用されています。
大体、左翼の人が入獄するとその奥さんは、獄中の夫の差し入れ要求に振り回されることが多かったみたいです。中野重治の「愛しき者へ」という書簡集や河上肇全集の書簡の巻にはそうした手紙が多く収録されています。書棚のあの辺にあるはずとか、友人に貸しているので取り戻して送れとか、無ければ買ってこいとか、勝手なことを書いています。
時々は洋書も混じるのですから、奥さんの苦労たるや、並大抵ではなかったでしょう。本人は刑務所での一日の作業を終えたら時間が有り余りますから、本を読みたくて仕方がないのはわかりますが、ちょっとは本を探す身にもなればいいのにと思います。本職の我々でも、ご注文をいただいた本の場所を探すのは大変です。
まあ、昔の亭主の関白ぶりがこんなところからもうかがえますね。
古本 買取 泉佐野市
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売文社
黒岩比佐子さんの「パンとペン」講談社刊をパラパラと読みました。副題に「社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い」としてあります。黒岩さんは幅広く明治文献にあたって、村井玄斎や国木田独歩の再評価、伝書鳩の歴史、日露戦争の掘り起こしなど、明治時代をいろんな観点で見つめなおした良書をたくさん出されていますが、惜しくも52歳で亡くなられました。
「パンとペン」は黒岩さんの最後の本になりましたが、今や忘れられかけている堺利彦を、彼が作った「売文社」を通して新しい視点で見つめなおす力作です。「売文社」というのは今でいうならば文章を武器とした「電通」みたいなもので、いろんな人からのいろんな文章の注文をこなしたり本の執筆代行、編集請負などをする組織で、なかなか繁盛したそうです。
彼はその以前に「平民社」を作り「平民新聞」と言う左翼言論新聞を創刊したことで有名ですが、弾圧されて休刊し、その後に、このような一種やけっぱちみたいな会社を明治43年に起こしたのです。「売文」というのは、一種の自己卑下的なてらいがあるのですが、ある意味斬新で注目されました。予想通りそこには社会主義者、アナキスト、共産主義者などが集まって、一種カオス的な面白い集団になったのですが、さすがの堺利彦も御しかねて、結局大正9年に解散してしまうのです。
彼の生涯をその「売文社」中心に、生き生きと描いた大変読み応えのある作品です。
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2024年9月6日 | コメント/トラックバック(0) |
名づけ方
台風10号が弱まりつつあります。1949年の今日8月31日、キティ台風が神奈川県に上陸して関東で大きな被害が出ました。この台風も10号でした。文学好きの人がこの台風の名前が印象付けられているのは、劇作家で評論家の福田恒存が自分の戯曲の題名にしたからでしょう。
戦後当時は占領軍が統制していたため、台風にはアメリカ本国にならって女性の名前が付けられました。キャサリン台風やジェーン台風などもありました。今ならハラスメントですね。
今回の10号は国際名として香港が出していた「サンサン(少女の名前)」と名付けられています。アジア地域の台風委員会という国際的な組織がアジア各国から出された140個の名前と順番を事前に決めていて、次は日本の「ヤギ」になります。
サンサンは熱帯低気圧になりかかっていますがまだ油断は禁物でしょう。
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2024年8月31日 | コメント/トラックバック(0) |
高橋さん上陸
暑さも極まりつつありますね。1867年の今日、8月18日に高橋是清はサンフランシスコに上陸しました。仙台藩の留学生として渡米したのでしたが、悪い人間に引っかかってだまされて、奴隷として売られる契約書にサインをしたため大変苦労します。英語力は身についたが、こき使われるので、契約を解消しようと一日、外出を雇い主に求めますが「主人は生意気なっ、といっていきなり私の頬を殴った。私は殴られたひょうしに思わず屁が出た」と「自伝」中公文庫に書いています。
苦労して帰国してから英語力を使って教師をしたり、ボーイをしたり、日銀に入ったり、日露戦争の戦費のための外債募集に成功したり、ペルーの銀山経営に手を出して失敗したり、子爵になったりして、大蔵大臣、総理大臣になります。大蔵大臣は総理経験後も何度も務め、その辣腕ぶりは有名です。平成時代、単に総理をした後、財務大臣をしたことで、自分を高橋是清になぞらえて語った政治家がいましたが(今もいますが)、まったく格が違いすぎて噴飯ものでした。
ちょっと今の尺度では測れない、大きさ広さ深さを持った人物でした。最後は軍部の予算増強案をはねつけてうらまれて2・26事件で暗殺されて亡くなります。
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