不滅の辞書

5月25日という日は、われわれ古本屋に縁が深い辞書というものを考える場合、無視できない日です。1955年の今日、「広辞苑」第1版が岩波書店から出されました。そしてその5年後、1960年の5月25日には「大漢和辞典」の最終巻、第13巻が大修館書店からめでたく出されました。



「広辞苑」の方はその大衆への絶大な浸透度において、また「大漢和辞典」は編者の諸橋轍次と大修館書店社長の鈴木一平との美しい友情ドラマによって、ともに名辞書として語り続けられています。特に漢和辞典はその膨大な編纂作業が戦争によって完全に途絶したかに見えましたが、諸橋とその弟子たちの不屈の努力、鈴木の、息子たちをも巻き込んでの営利を離れた献身によって、成し遂げられたのは有名です。



今はその両辞典も、その神話性、無謬性は学問の進歩や、辞書編纂技術の向上と共にやや薄れてきた感はありますが、辞書は一国の文化のバロメーターと言われてきた時代をリードしてきた存在として、歴史的には不滅だと言えるでしょう。



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茂吉の一面

斎藤茂吉について書きましたが、まだ面白いことはいっぱいあります。有名ですが、長男の斎藤茂一のお見合いの席で出されたうな重(どんぶりかも)を見合相手のお嬢さんのと見比ベて、そちらの方が大きかったので「代えてちょーだい」と言って取り替えたり、息子の北杜夫の勉強を見ていて、息子が忘れた単語を自分も忘れていて、それを怒りながらもついに思い出して、さらに怒ったそうです。



最上河畔に行ったとき、お付きの人が「もう白逆浪が立っている」と言うと「誰もこの言葉を使ってはならぬ」とお弟子たちに命じたが遠くにいた結城哀草果には聞こえなく、彼が「白逆浪」を使った短歌を作ったので口惜しくてならず、ついに「逆白波」という言葉を作って名歌を詠んだはなし。



ヨーロッパ留学の時、どこか(ドイツ?)の都市の公園で男女の抱擁接吻に出くわし、木に隠れて一時間ばかり接吻を眺め、酒場に入ってビールを続けさまにあおりつつ「どうも長いなあ、実に長かったなあ」などとつぶやきながら頭を抱え込んだりした話。



戦後、会津八一の書展を訪れて芳名録に署名をするとき、筆を硯に何度もつけては取り直してなかなか筆を持ち上げない、持ち上げたかと思うと芳名録の上に筆を構えてなかなか下ろさない、やっと「斎」の最初の点を書いたかと思うとまた筆を上げて、横一線をなかなか書かない、結局、斎藤茂吉と書くまでに5分ほどかかったという話。



人と話すときにぺろりと舌を出して話を聞くという面白さ、などなど、どれもとれも謹厳実直がユーモラスになっていて、奇人たる資格満点ですね。



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髭を

個人全集や文学全集の月報を読むのが好きです。今日も今日とて、斎藤茂吉全集(旧版)の月報をパラパラと拾い読みをしました。新版の月報も面白い記事があるのですが、茂吉に会ったこともない世代の評論家や歌人、研究者の文章がどうしても多くなっています。それに対して旧版の方は茂吉を直接知っている人たちが存命の頃に書かれたものが多く、実にビビッドで面白いです。



画家の木村荘八が、復興東京を文章と絵で伝える仕事で斎藤茂吉と都内を廻ったことがありました。昭和22年のクリスマスイブです。銀座の服部時計店の近くに来ると、そこらにいた米兵の中でもずば抜けて背の高い一人が茂吉の前にやって来て、突然、茂吉の長く白いあごひげをつかんだそうです。茂吉はじっとしていたのですが「How old are you?」と尋ねたそうです。米兵は「twenty」と答えると茂吉は木村に向かって「木村さん、此の男はこれで二十ですとさあ。大きいねえ」と言ったそうです。



これは木村荘八が月報に書いています。



なかなか落ち着いたものです。斎藤茂吉は精神科のお医者さんですから、多分、診察中の患者さんたちから突然、思いもよらぬことをされた経験がいっぱいあったのではないかと思います。



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大声

5月15日は小説家井上光晴の誕生日です。1926年生まれですからちょうど生誕100年です。九州、福岡県生まれで炭坑労働などを経験して詩人として出発、やがて、貧困、差別、被爆などの重いテーマの小説を書きました。



この人も残念ながら、最近は読む人が少なくなりつつあるようです。娘さんが井上荒野さんで、活躍されています。



文壇3大音声の1人と言われ、丸谷才一、開高健とともに声の大きなことで知られていました。また、晩年はその生き方を描いたドキュメンタリー映像が「全身小説家」と題されて、キャッチフレーズになっていました。



も一度読み返してはいかがでしょうか。



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読まれてきたが

今日5月11日は小泉信三の命日です。1966年に亡くなりましたからちょうど没後60年です。慶応義塾大学の塾長を長く務め、その後は宮内庁の参与として皇室の近代化への道を開いたとされています。



経済学者でその方面の著作と共に、随筆家としても多くの本を残しました。没後全27巻の全集が出されました。経済学者の全集としては珍しく2巻の書簡集も収録されていています。マルクス経済学者であった河上肇の全集と好一対です。



テニスを愛しその影響か、教育参与として接した昭和天皇の皇太子もテニスを好み、結果として正田美智子とのテニスコートでの出会いがもたらされたと伝えられています。



戦前戦後を通じ文化人として発言をし続けた大学人の典型として広く読まれてきましたが、昨今は全く読まれない人になりました。



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