基次郎さん

私は大阪市内の生まれですので、小説家などでも大阪市内生まれの作家に親近感をいだきます。開高健や織田作之助あたりはすぐに思い浮かびます。その人達に比べると大阪臭は少ないのですが、梶井基次郎もれっきとした大阪市内生まれです。



明治34年2月に西区土佐堀で生まれ、やがて同じ西区江戸堀に引っ越しますが、8歳の時父親の転勤で東京に移ります。2年後にまたもや転勤で今度は三重県へ。また2年後に父親は再び大阪へ転勤になりますが、基次郎と兄は学校の関係で三重県に残り、次の年、大正3年3月に大阪市西区靱の家に一家が揃います。



実は父親が東京から戻った時に短期間ですが住んだのは、大阪市北区本庄西権現町(現在は北区鶴野町)だったそうです。実は私も本庄西に何年か住んだことがありました。年譜でこの記事を見た時におっ、と思ったものです。まあ、基次郎自身は住んでなかったのでしたが、ちょっとびっくりしました。



実は年譜を見ていて、もっとびっくりしたことは、基次郎には異母弟がいて網干順三さんと言いました。どこかで聞いた名字だと思ったのですが、説明を見ると、高松塚古墳で有名な考古学者だった網干善教さんの父親とありました。つまり基次郎と網干善教さんは叔父と甥ということになります。意外でした。



さて、基次郎はそれ以後は大阪の北野中学から京都の三高に入り、下宿します。以後は大阪市天王寺区に移った実家には帰ったり帰らなかったり、小説家を志してからは、東京や湯河原などを行ったり来たり、結局は大阪の臭いがだんだんと薄れた作家になってゆきました。



それでも昭和6年には大阪市住吉区王子町(現在は天王寺区王子町)に家を構え、翌年、そこで亡くなりました。墓は大阪市南区のお寺にたてられたということです。大阪市内で生まれ大阪市内で亡くなり、大阪市内に葬られているのですから、結局は誰よりも大阪市の作家でしたね。



ちなみに彼の終焉の地は今はマンションが建っていて、毎週、私が大阪古書組合にゆくときは、その前の道路を通っていることを今回知り、不思議な気持ちがしました。



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