丑と辰と熊
先日、業者さんと飲んだ時に増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」新潮社刊が話題になりました。
私も読みかけていた本です。木村と言う桁外れの柔道家がプロレスに入って力道山に敗れた事から、さかのぼるようにして木村の出自や柔道の歴史を縦糸に、世相、社会情勢も取り入れて、とても興味深い内容です。
木村その人もさることながら、その師匠の牛島辰熊と言う人の事も丁寧に書かれています。体格と言い、強さと言い木村の先生たるにふさわしい人ですが、なかなか複雑で奥深い人間みたいです。
つい二、三日前に目を通した「中江丑吉書簡集」にもこの人は登場します。所収年譜によれば昭和十四年、北京の中江宅を訪問し始めたらしい。石原莞爾中将の東亜連盟関連の人と注記されています。
中江家には牛島の他にも岡部平太や中下魁平(牛島門下)といった柔道家が同時期に出入りしていたようです。
歴史は思わぬ場所でつながっています。
木村政彦や牛島辰熊を髣髴する体格、風貌のO書店さんの俳句。
風吹かす 慈悲も無きかや 夏の空
「無きかや」なんて文語体にとらわれなくてもよいのでは。「無いのか」でも可と思うのですが。
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2016年7月25日 | コメント/トラックバック(0) | トラックバックURL |
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