オリンピックの顔と顔
今年はうるう年で、したがってオリンピックの年です。
子供の頃は全く感じなかったのですが、歳を重ねると、次のオリンピック、見れるのかなと思いますね。
初めてオリンピックを見たのは東京オリンピック。その前のローマ大会の記憶は全くありません。東京オリンピックが初めてであり、その記憶の消えないことでは、全てであると言えます。三波さんの歌とともに脳裏にこびりついています。
アベベ、チャスラフスカ、河西、小野、そして円谷。不滅の名前です。
殊に、マラソンの円谷幸吉さんが、競技場の中でイギリスのヒートリー選手に抜かれた映像は鮮明です。一生懸命に応援していたのでしょう。それ以来かもしれません、国際的なスポーツ大会で私は、熱狂的には日本選手を応援できないのです。
円谷選手は、後に、哀切極まりない遺書を残されて亡くなられました。私はこの遺書は、日本人が綴った最高の詩の一つと考えています。オリンピックの重圧に、真面目に向かった円谷さんの事は、オリンピックが来るたびに思い出されてなりません。
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2012年3月6日 | コメント/トラックバック(0) | トラックバックURL |
カテゴリー:身辺雑記
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