甲子園球場の設計者は?その2
野田誠三さんは京都帝国大学工学部を卒業。阪神電鉄入社。甲子園球場の設計主任として指揮したとされてます。いわば球場の施主側の立場でです。
一方、施工側が大林組でして、そこに小田島さんが在籍していたわけです。
さて、問題の日記の冒頭に小田島さんは書いてます。
要点を整理して写します。「当時、野球熱が沸騰していて、京阪電鉄も寝屋川の運動場に、5万人収容程度の野球場建設の計画を持った。その設計施工を狙っていた大林組が、サービスとして係員を球場研究のためアメリカに出張させるとした。前に甲子園球場設計を担当した私に、そのお鉢が回ってきた」
この文章から考えると、甲子園球場の設計本体は小田島さんが受け持ち、野田さんは設計監理的な、管理者としての役割を果たしたのではないか。図面は小田島さんが引いたような気がします。甲子園球場に行けば何か、記録したような物が展示されているかもしれません。
甲子園球場史に小田島兵吉さんの名前をどこかに残しておきたい気がします。
それはさておき、このアメリカ訪問の赤ゲット旅行記。なかなかいろんな面で面白いのです。
以下次号
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2011年9月30日 | コメント/トラックバック(0) | トラックバックURL |
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