甲子園球場の設計者は?その3
資料の面白さは、リアルなところですね。時間や空間を隔てて、記録の現場にいるような気がします。
この小田島日記、130枚ほどのA4ファイル用紙の両面にびっしりと細かい読みやすい字で、横浜からリンカーン丸で出航する少し前から、大洋丸で再び横浜港に帰ってくるまでの約5ヶ月間(1926年大正15年10月4日~1927年昭和2年3月10日)にわたって書かれています。
筆者が写したアメリカ各地の写真や、パンフレット、絵葉書、大正天皇崩御を報じるアメリカの新聞の切り抜き、手書きのスタジアム図面等が600枚程貼りこまれていて、ビジュアル的にも大変見ごたえがあります。
この日記全体は、実は後年(昭和34年)に、小田島さんがファイル用紙に当時の日記を転記清書すると共に、箱の中に保管されてあった資料を貼付整理されたもので、そのために極めて見やすく、整然としているわけです。
嬉しいことに、全費用が完全に別途一覧表に記録されています。見た映画やオペラの記録、購入書籍などもそれぞれ一覧表示されていて実に参考になります。
以下次号
タグ
2011年10月1日 | コメント/トラックバック(0) |