また尾崎さん

昨日、尾崎紅葉のことを書きましたが、当時、紅葉と文壇を二分していたのは幸田露伴で二人の名前を一字ずつ取って紅露時代と呼ばれました。漱石が「吾輩は猫である」を連載し始めた明治38年には尾崎紅葉はすでに亡くなっていました。



文壇では漱石よりも遥かに早くから紅葉がもてはやされていたのです。紅葉が古めかしく感じられるのはその為でもあるでしょう。露伴も古く感じられます。ただ、この三人の肖像写真を見ると一番早く死んだ紅葉が断然現代的です。しょうゆ顔のシュッとした男前。今でもキャンパスにいそうな顔です。それにひきかえ若い時の写真を見ても露伴はおいもさん。漱石も気難しいおっさんという感じです。紅葉の敵ではありません。



紅葉の写真とともに作品を文庫でどんどん出したらブームになるかもしれません。ただし、現代語に訳さないともう理解されないかもしれませんが。



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