新入荷情報 古本
世界歌劇全集補巻「黒船」山田耕筰作曲 音楽之友社 昭和60 1000
音楽家の恋文 初カ バーレーン 西村書店 1996 800
ヘンデル 初カ ホグウッド 東京書籍 1991 1700
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2012年1月25日 | コメント/トラックバック(0) |
カテゴリー:新入荷情報
ツイン21古本フェア初日ありがとうございました
小雨そぼ降るお寒い中、ツイン21古本フェア初日に際し、ご来場誠にありがとうございました。
外の寒さに対し、会場のお客様の熱気、店主の意気込み相まって、A香港型インフルエンザあっちゃいけの元気をいただきました。
売れた書棚は毎日補充して、会期終了まで、ご来場よろしくお願い申し上げます。
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2012年1月22日 | コメント/トラックバック(0) |
カテゴリー:即売会
復興17年
阪神淡路大震災からもう17年たちました。
神戸の間島一雄書店さんの間島保夫さんが、震災から2年後の平成9年秋に出された「罹災日録」を読み直しました。
淡々とした筆致の中から、静かな闘志、同業者の方やボランティアの人々への感謝の気持ちが、真水のように心にしみてきます。記録は、当日の朝から、平成9年6月20日(金)の目録原稿を印刷屋さんに渡すところまで。
娘さんを、1階が押しつぶされたアパートの1階部分から、かすり傷一つなく助け出し、しかもその日が娘さんの誕生日であったという劇的な場面から、すぐにご近所の方々の救出に向かわれた話、永田耕衣さんの無事を喜ぶ話、公民館を借りれて倉庫にする話、須磨区の14軒の風呂屋が4軒になった話、2月7日に組合で早くも組合主催の市が再開された話、売り掛けの本代金を担当の人が社長に掛け合って早く支払ってもらい、わざわざ届けてくれた話、倒壊したお店、サンパルのお店、大阪のお店の、いろんな場所での本との格闘の話、多くの良書が捨てられているのを目撃するが、置き場所の都合で救えない事を嘆く話、娘さんの高校入試合格の話、3月30日に51歳になられた話、徐々に各地の大市に出向く余裕を取り戻される話、ちょうど1年後の1月17日に新しい倉庫の地鎮祭を執り行われた話、8月31日に阪神高速神戸線(横倒しになった)が再開した話、そして、念願だった目録の再発行を伝えて、この貴重な記録は終わります。
間島さんは「がんばろう神戸」という、いつの間にか広がったスローガンに対しては、あまり良い印象を持っておられなかったようです。
もっと静かな、もっと素朴な、普通の人たちの普通の助け合いの尊さ、有り難さを間島さんは説いておられるように思いました。
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2012年1月17日 | コメント/トラックバック(0) |
百閒の迎賓館
三畳の小屋だが使用できるのは二畳一間きり。終戦後の内田百閒さんの住まいです。彼言うところの掘立小屋の迎賓館です。軒も無く、トイレは別棟。傘をさして用を足したとのこと。
この住まいに、来客が絶えませんでした。一人でも上ってもらうのが大変なのに、二人連れという来客が多かった。
食糧事情が悪い中、なにやかや手土産持参で来てくれることはありがたいが、散らかっているときなどは、上ってももらえず、土産だけ頂戴して帰っていただくことも再々だったらしい。百閒さん自身もエッセーで、訪ねてやろうという好意はありがたいが、好意をくるんで来る人体が、邪魔である、いっそ魂だけで来てくれればありがたいと書いています。
彼の客嫌いは後年、徹底してきて、三畳小屋の隣に建てた茶室を、禁客寺(きんかくじ)と称したり、「世の中に人の来るこそ嬉しけれ とは言ふものの お前ではなし」という歌を書いて玄関に張り付けたり。
忙中謝客、春夏秋冬日没閉門などなど、彼が好んだ言葉は偏屈ではありますが、何処となくとぼけた味があり、捨てがたいですね。
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2012年1月16日 | コメント/トラックバック(0) |
柳宗理さんのお母さん
和室でも違和感なく座れる「バタフライ・スツール」を作ったデザイナーの柳宗理さんが25日に亡くなられました。
日本民藝館の創設者の柳宗悦さんの長男。西洋中世美術史家の柳宗玄さんは弟さんです。いずれも古本屋にはお馴染みの名前です。このお二人のお母さん、すなわち柳宗悦さんの奥さんが柳兼子さんです。こちらは音楽好きには懐かしいお名前ですね。
日本のアルト歌手の草分けとして、主としてドイツや日本の歌曲を専門に演奏活動、教育活動をされました。演奏はCDにもなって、その幽玄ともいえる歌声は、高く評価されています。何というか、ビブラートの多い、それでいて歌のフォルムは崩れない。女性に対してはふさわしくないかもしれませんが、古武士のような歌声と私は感じました。
昨日の市会で落札した本の山の中に岩波書店版「志賀直哉全集」が入ってました。何組目になるか判らんなと思いつつ、何の気なしに月報をチェックしていると、柳兼子さんが志賀直哉を回想した文章が載っているではないですか。
一時、隣同志と言える近い距離に両家が住んでいたとのことで、それこそ味噌醤油の借り合いまでしたような仲だそうです。まあ、学習院、「白樺」の同人でしたから、味噌醤油は無いかも知れませんが、お菓子や肉などが到来すればお互いがご馳走し合うという、麗しい関係。しまいには柳さんは奥さんの兼子さんを、志賀さんの奥さんの名前の「康子!」と言ったり、志賀さんも康子さんを「おーい、兼子」と呼んだりという、言葉のスワッピングが起こるほど親しかったとのこと。
柳兼子さんの思い出の一節。
「志賀さんは陽性で、柳は陰性でした。例えば志賀さんは癪に障ると愛用の茶碗を叩きつけて割ってしまふやうなところがおありでしたし、柳でしたら茶碗が大事で中々割れず、やり場のない気持ちにいつまでも苦い顔を続けてゐるでせう。」
二人の違いがよく出ています。
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2011年12月27日 | コメント/トラックバック(0) |