宇治でありがとうございました
今日は宇治で、きれいなマンガ本を沢山お譲りいただきました。ありがとうございました。
宇治と言えば、黄檗宗萬福寺。普茶料理で有名です。
娘が小さい頃、家族で行った記憶があります。全体的に中国様式が色濃く残っていて、西遊記に出てきそうな感じが印象的でした。
西遊記のマンガと言えば、最近では藤原カムイさん、諸星大二郎さんの名前がすぐに浮かびます。
藤原さんの作品は原作にかなり忠実で、その絵もソフト・フォーカスな描線と色彩がバランス良く、どこか長編アニメ映画を見ているようです。
一方、諸星大二郎さんは、西遊記を換骨奪胎して、諸星ワールドの幻術にどっぷりと、はまること請け合いです。現在、連載中ですが、単行本での通算13巻目(数え方は色々できるのですが)にして悟浄が登場して、やっと役者がそろいました。ゾロアスター教が出てきたり、羊の妖怪が出てきたりと、諸星さんの想像力の奔放な事、とどまることを知りません。
どちらもお勧めです。
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2012年1月8日 | コメント/トラックバック(0) |
カラヤン夫人の剣幕
N響の事務長を長く務められた長谷恭男さんの「斜めから見たマエストロたち」同成社版を読みましたが、実に面白い本です。20年以上前に出版されてますが、私は初めて見ました。あまり部数は出なかったみたい。しかし、世の中によくある、呼び屋さんの手柄話じみた、アーティストの舞台裏素顔本などとは比較できない内容の濃さがあります。
中心になっている話題は、N響の歴代名誉指揮者のマタチッチ、サヴァリッシュ、スウィトナー、シュタイン、ブロムシュテット達の招聘前からのいきさつや、アッと驚くエピソードなどです。番外にカラヤン、ヴァント、ライトナー、スワロフスキーの知られざる一面が描写されます。その他に、著者の上司で人生の師匠であった、有馬大五郎さんのけた外れに大きな人柄の思い出話。東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会パンフレットに執筆したエッセーなど、てらいの無い素直な筆致は飽きさせません。
アーティストに深くかかわった人だけに、こんなことまで書いていいのかと思うほど、あけすけに書かれています。マタチッチのとぼけたユーモア、女性を巡る話は秘話と言えます。
それ以上にカラヤンの話は特に傑作です。彼の飛行機操縦好きは天下周知の事でしたが、私はせいぜいセスナか小型ジェット機程度、横山やすしさんに毛が生えたくらいかなと思ってましたが、とんでもないことをしていました。
以下次号
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2011年12月30日 | コメント/トラックバック(0) |
LP愛好家座右の書 その2
さて、鱒書房版「LP事典」。ほぼ真ん中あたりに奥付があるという変則的な構成です。つまり前半が縦書きの演奏篇で藤田不二さんが担当。後半が横書きで技術篇として高城重躬さんが書いています。
前半の最後には200ページ以上のクラシックLP演奏家名鑑が付いていて重宝です。その部分を含めて演奏篇全体は1200ページ強あります。
内容がこれまた濃い。急速に普及した33回転クラシックLPレコードの、海外盤も含めて、めぼしいものは残らず網羅され論評されています。つまり昭和28年9月までに出た殆んどのLPの、一大俯瞰図ともいえる内容です。
クラシックSPの世界では、隠れもない「銭形平次」の作者、野村胡堂こと野村長一さんが野村あらえびすのペンネームで名著を沢山残してくれていて、いまだに参考書としての価値を失っていません。代表作が「名曲決定盤」で、こちらはSPレコード全体の俯瞰図でしょう。このひともあらゆるSPはすべて聴いたと豪語していましたから、当時の権威は絶大だったと思われます。
この「LP事典」は、そこまでのカリスマ性はありませんが、徹底性という点では、いささかも劣っていないと思います。当時の海外の批評誌などからも引用をして、客観性、資料性の維持に配慮をしているところが貴重です。現代曲など、親しみの薄い曲には、スペースを惜しまず、楽曲解説を前面に出して詳述します。バルトークのヴァイオリン協奏曲では、2段組みで5ページ半にわたる解説です。
後半の技術篇では、高城さんが蘊蓄を傾けてハイファイとは何かを微に入り細をうがち論じます。自作派の為の回路図が満載です。この高城さんという人は、私の記憶では高校の校長まで勤めて、定年後に、大ホール演奏用のスタインウェイのフルコンサート・ピアノを自宅に設置して楽しんだ人と覚えています。名手だったらしい。1部屋ほどの大きさのバックロード・ホーン・スピーカーを設計、愛用した人とも聞いています。音楽再生装置が、まだまだ人間臭い要素を一杯残していた時代の、ある種の名人でしょうね。
この人の技術篇が約500ページ弱。
本当に読み応えがあります。
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2011年12月28日 | コメント/トラックバック(0) |
師弟対談
桂枝雀さんの本はありそうで、生前はあまり出ていません。
落語集は無かったかと思います。その代わりに対談集がありました。テレビの「枝雀寄席」のゲスト対談の部分を活字に起こしたものです。パラパラ読むと、大層面白い。
トップが、桂米朝さんとの対談です。お互いに少し恥ずかしそうです。
開口一番
米朝「ええ家ができたね」
枝雀「ええのをこしらえて貰いました」
米朝「庭もええやないか」
枝雀「放送が終わったらあとかたも無うなりますが、ええ庭です」
米朝「しばらくここで暮したらどうや」
これが、セットを眺めまわしながらのやり取りです。普通の家の座敷のようなセットでした。これから調子が少しずつ出てきて、対談らしくなります。
米朝「40年たつと、どんなあかん奴でもあかん奴なりに、下手は下手なりに(略)味が出てくるものや。昔の万年前座といわれながら40年、50年もやっている人の落語は味があったなあ」
枝雀「まあ40年辛抱するちゅうことは難しいでしょうけどね」
米朝「できるこっちゃない。40年も下手でおるてなことは、難しい」
枝雀「最初から狙えることではおまへんわなあ(略)」
いい話でしょう。自然に落語になっています。
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2011年12月22日 | コメント/トラックバック(0) |
オーディオ、事始
昔の少年雑誌、「ぼくら」「少年クラブ」「少年画報」などには、付録がたくさんついてました。新年号などに至ると、豪華20大付録などと銘打って、子供心をあおられたものです。その付録を挟み込んで、臨月寸前といった感じのパンパンに膨れ上がった新年号が、12月後半の書店の店頭にあふれていたのをよく覚えています。冷たい風に吹かれながら、何を買おうか、正月のこたつの中で、どれを組み立てようかと小さな胸をときめかしたものでした。
そうした付録は、ほとんどが紙製でした。少し厚めの紙を、点線でくりぬいて、さらに山折、谷折などして形をこしらえ、一部は割ピンなどという、まことに脆く頼りない金属性の鋲で留めたりして、戦艦や戦車、ロケット、10連発銃などを作るのです。カタパルトなどという言葉を覚えたのも、こうした付録のおかげです。
ミリタリー系ばかりではありません。時として異色の文化的付録も付きました。顕微鏡、映写機、妖しげな実験セットなど。そうした中の異色中の異色が、レコードプレーヤーでした。凄いですね。ソノシートも1枚付いていました、赤い透明のペラペラしたの。曲は「虫の声」というのでしょうか、「あれ、松虫がないている」という歌詞の曲です。早く聴きたくてたまりませんでした。
付録を組み立てれば、電気もスピーカーも必要なく、音楽が聴けるのです。
私が小学校5、6年生の頃だったと思います。どういうことになったか。
以下、次号に続く。
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2011年11月27日 | コメント/トラックバック(0) |