詩人、怒る

終戦直後は活字に飢えるというか、命が助かったという安心感からか、本や雑誌が飛ぶように売れました。出版などしたことないような人が何かのツテで紙を手に入れたら、何でもいいから活字を印刷して出せば儲かるという時代でした。大家と言われるような作家が、名前も知らぬような出版社から続々と本を出しました。



そして雨後の筍みたいな出版社は放漫経営のお決まりで資金繰りがつかなくなって、バタバタと倒産してゆきました。作家たちの印税取りっばぐれも多数あったようです。室生犀星の昭和23年から24年の日記を読むと、生々しくその実態が書かれています。



中でもひどいのは文潮社という会社で、自叙伝全集の1冊として犀星の本を出すことになり、印税12万弱で話が付き、原稿も渡したが、肝心の印税が一向支払われない。何か月も催促をつづけたところ社長が「半分はその本の引き渡しで支払う、残金は分割払いでお願いしたい」と、ひらきなおってケンカを売るような話になったので、あきれて文芸家協会の弁護士に取り立て依頼したと犀星は怒って書いていました。



この文潮社の出した「小説季刊 文潮」第1集 昭和23年刊行という、雑誌か本かわからないようなものが手近にありましたから、中を見ると4本の小説をただ並べただけ。いかにも出せばいいという感じです。室生犀星の小説も載っていました。このころから引っかかっていたのですね。



最終的にどう決着したのか、日記にはそれ以後の経過は書かれていませんが、大変な時代があったものです。しかし、室生犀星は原稿料や印税にはかなり厳しかったことがうかがわれて、意外な側面を見たような気がしました。



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